「趣味は挑戦です」
そう話すのは車椅子ユーザーで2児のママの桂真梨菜さん。
桂さんの幼い頃からの夢は助産師になること。お母さんの出産で、たくさんの赤ちゃんが並ぶ光景を目にした途端、幼いながらに生命の尊さに魅了されたといいます。
高校卒業後は、看護助手として病院に勤務しながら准看護師の資格を取得し、プライベートでは結婚もされて、まさに順風満帆な人生を歩んでいました。
しかし、出産によって脊髄損傷となり、車椅子生活を余儀なくされることとなったのです。
そのような経験を得ても、挑戦し続ける姿を発信される桂さん。
今回の記事では、桂さんの挑戦する想いや原動力、また挑戦したからこそ見えた社会課題についても伺いました。
ぜひ最後までご覧ください。
目次
1.まりなさんってどんな人?
1-1.出産を機に車椅子ユーザーになる
【インタビュアー(ライター):赤石/インタビュイー:桂さん】
赤石:どのような経緯で脊髄損傷となったのでしょうか?
桂さん:妊娠をしてから、妊娠高血圧であることが発覚し、このままでは母子共に危ない状況であることから、陣痛促進剤を使って計画的に出産することになりました。
出産当日、朝7時から分娩室に入るもののなかなか生まれず、そうしている間に血圧もどんどん上がっていき危険な状態であったため、急遽無痛分娩に切り替えたんです。
無事に息子が産まれた時には、既に夜を迎えていました。
分娩台から病室のベッドまでは、すべて看護師さんに移乗していただき、その日は一度も足を動かすことなく寝てしまったんです。
違和感が現実になるのは次の日。朝、身体を動かそうとすると足が全く動かず、その後の検査で脊髄損傷と診断を受けました。
赤石:足が動かないと分かった時の心境を教えてください。
桂さん:びっくりですよね。
最初、医師からは出産による神経の圧迫によるもので、時間が経過するに連れて治ると言われていました。
でも、足が動かなくなったこと自体に落ち込むことはなかったんですよ。
同じ時期に入ってきたママたちが次々に退院していく中、私だけ取り残されているような気はしましたが、息子のお世話をすることで気を紛らわせていたのだと思います。
何より毎日いろんな表情を見せてくれる息子が愛おしくてたまりませんでした。
しかし、ある日突然30分後に転院することが決まり、息子と離れ離れになったんです。
その時、生まれたばかりの小さな息子に、どれだけ支えられていたのか気付かされました。足が動かなくなるより、息子と離れるのが何倍も辛く、初めて病院で泣きました。
泣いたのはそれが最初で最後ですね。
1-2.過去の辛い経験があるからこそ今がある
赤石:その後1年2ヶ月の入院をされたとのことですが、なぜ車椅子で准看護師として働こうと思われたのですか?
桂さん:1年2ヶ月の間、患者として過ごしてきたことで新たに気づけたことがたくさんあり、それが私の強みだと思っています。この気づきを患者さんに還元したいと思い、准看護師で働くことに挑戦しました。
また、車椅子だからできないと決めつけるのが嫌なんですよね。
もちろん患者さんの安全を第一に考えるのですが、挑戦する前にできないと決めつけるのが嫌なので、とりあえずどんなケアでもチャレンジさせてもらいました。
すると、健常者の看護師と変わらず業務ができたんです。患者さんの移乗など物理的に難しいものもありましたが、それ以外は同じように働けて、私にとっても大きな自信になりました。
赤石:働く上で苦労したことや葛藤などはありましたか?
桂さん:ありましたね。
私たち車椅子ユーザーは、健常者がしなくても良い努力をしなければいけません。
例えば、車椅子だと通勤に時間がかかるため、3本早い電車に乗ったり、仕事中も素早く動くことができないので、効率を常に考えながら動くなど、患者さんやスタッフに迷惑がかからないよう努力をしていました。
「車椅子の看護師に何ができるの」と周囲に思われることが悔しくて、背伸びをして頑張り続けることで、健常者と同じ業務をなんとか行っていましたが、実際はすごく苦しかったんです。
努力は大切ですが、無理をしなければいけない社会は生きにくいと感じました。
私は、患者さんを移乗させることが難しい一方で、誰よりも患者さんの気持ちに寄り添うことができます。移譲は頼んで、他の看護師の苦手な業務を私が行い、お互いの強みで補い合える環境が良いと考えています。
健常者にも、得意不得意はあります。得意な部分を伸ばして、誰かの苦手をカバーしながら循環できる。車椅子で働いた経験から、こうした社会を目指すようになりました。
2.「趣味は挑戦!」と豪語するまりなさんの新たな挑戦とは?
赤石:これから挑戦したいことはありますか?
桂さん:まずは准看護師から看護師になることです。
幼い頃からの夢である助産師になるためには、看護師免許の取得が必要です。
また、足が動かなくなって寝たきりの生活を送ってみると、これまでケアをしてきた患者さんの気持ちが初めてわかりました。トイレに行って手を洗う喜び、久しぶりのお風呂で身体にかかる負担など、車椅子ユーザーとなった私だからこそ気づけた強みだと思っています。
病気の知識もありながら、患者さんの心に寄り添った看護を提供できる看護師を目指しています。
赤石:出産によって障害を負われましたが、病院で働くことに不安などはないのですか?
桂さん:全くないんですよね。
自分がというより、患者さんのためにという一点だけなので。
出産によって車椅子ユーザーになり、病院の嫌な部分をたくさん見せられたのに、やっぱり魅了されるのは生命で、患者さんのために働きたいという想いが強いんです。本当に不思議ですよね。
赤石:現在Beauty Japanコンテストに挑戦されていますが、きっかけを教えてください。
桂さん:外見の美しさを競うコンテストが多い中、Beauty Japanコンテストは、想いやビジョンなど内面の美しさを競うコンテストなんです。
コンテストの挑戦を決めた理由の一つは、車椅子で准看護師から看護師を目指してる人がいるということを広く知ってもらうためです。
実は日本にはまだ前例がなく、私も車椅子ユーザーになって看護学校を受験しましたが、車椅子では看護師は難しいと判断を受け、挑戦すらさせてもらえませんでした。心のバリアフリーが整っていないのが現状です。
だからこそ、私がこの道を切り開くことは、日本の未来を切り開くことに繋がると思っています。
また挑戦する際に、ママだからとか、年齢がとか、障害があるからとか、みんな何かしら諦められる理由を持ってると思うんですよね。
私は、2児のママの車椅子ユーザーであり、30歳で正看護師を目指しています。そんな私が挑戦する姿を発信することで、誰でも、どんな環境でも挑戦できると強く伝えたいという想いから、Beauty Japanコンテストの参加を決めました。
赤石:Beauty JapanコンテストのSNS審査では1位を獲得されたのですが、その要因は何だと考えられていますか?
桂さん:それは本当に私の力ではありません。私が1位を取れたのはみんなのおかげでしかないです。
元々、人にお願いをすることが苦手だったのですが、SNS審査期間は沢山の人に応援をお願いし続けました。こんなにも多くの方に応援いただけるとは思ってもおらず、驚きました。
SNS審査は、Instagramのいいね数とリーチ数で評価されるのですが、途中から1いいね1リーチがみんなからの愛情に思えて、SNSでこんなにも胸がいっぱいになったのは初めてです。
みんなからいただいた愛情を結果で返したいとの一心で、走り続けた結果が1位なのかなと思います。
今は第二審査であるクラウドファンディングに挑戦しています。
参照:FIRSTSTEP | 日本初!車椅子の看護学生へ!多様な人が挑戦できる社会を目指して!
私の思いを1人でも多くの方に伝えるため、そして日本の未来を切り拓くために、ぜひプロジェクトページを見ていただけると嬉しいです。
3.2児の車椅子ママであり、挑戦者でもあるまりなさんだから伝えたいこと
赤石:挑戦するうえで大切にしている想いや、原動力を教えてください。
桂さん:1年2ヶ月の入院の間に一度生死を彷徨ってるんです。
不整脈を起こして意識を失う中で、頭上で飛び交う声だけは聞こえていました。緊迫した声が次々と聞こえ、本当に死ぬって思ったんです。
「私が死んでも家族には笑って過ごして欲しいな」最後にそんなことを思い浮かべて記憶が途切れます。
目が覚めるとICUのベッドの上で、窓から見える空を見た時に「私、生きてたんだ」と理解しました。
この経験が、明日も生きてる保証はないと気付くきっかけになり、私の原動力になっています。
赤石:桂さんが目指すバリアフリーな社会について教えてください。
桂さん:心から挑戦したいことが見つかった時に、挑戦する機会を得られる社会を目指していきたいですね。
そして、障害の有無に限らず、みんなでフォローし合い循環できる環境こそが理想のバリアフリーな社会だと思っています。
その手段として、私が看護師になることや、障害者の固定概念を壊すことが必要だと考えています。
どんな人でも、どんな状況でも、何回でも、挑戦していいし、挑戦できるっていうことを伝えていきたいですね。
赤石:最後に読者にメッセージをお願いします。
桂さん:挑戦をすることは大切ですが、諦めても良いと思っています。
しかし、想像だけで出来ないと決めつけて諦めるのは勿体無いです。アクションをしてみると見えてくる景色は必ずあるはずなので、それを踏まえて辞める決断をするのは良いと思います。
もし、本当に心からやってみたいことが見つかったのなら、ぜひ理由をつけず、恐れることなく一歩踏み出して欲しいですね。
4.最後に
桂さんは出産によって障害を負ったにも関わらず、医療従事者になることを夢見ています。多くの人であればトラウマになって諦めそうな経験です。
取材の中で、自分と夢の2つの軸を自然と使い分けられていると感じました。桂さん自身がどんなに辛い経験をしても、患者さんにより良いケアをしたい想いには影響しないのだと思います。
桂さんの挑戦の軌跡はSNSで発信されているので、ぜひご覧ください。
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