当記事をご覧いただきありがとうございます。
初めまして。Ayumiライターの赤石理人(あかいしまさと)と申します。
僕は2歳のときに脊髄性筋萎縮症と診断され、身体のほとんどを思うように動かせません。この記事も、わずかに動く指先を使って書いています。
今回は、僕のこれまでを紹介するとともに、Ayumiと一緒に目指していきたい未来についてお話ししたいと思います。
1.9歳で家族と離れ病院で暮らす
幼い頃から日常生活の全てに介助を必要とし、父子家庭だった僕は祖母をはじめとする家族に支えられて生活を送っていました。
しかし、小学2年が終わる頃、家族の介護負担の増加とこれからの通学を考慮した結果、長期療養型の病院に入院することになったのです。
入院当日、車に揺られて病院へ向かう中一つだけ確かに感じたことがあります。
「お父さんと離れ離れになるんだ。」
到着すると、そこには様々な身体障害を抱える人ばかり。これまで自分を除く障害者と関わりがなく、その異様な光景がさらに不安を加速させ、入院初日は体力の限界まで泣き続けていました。
2.社会と壁を感じた瞬間
入院と共に、病院に併設する特別支援学校へ転校しました。在籍する生徒は様々な障害を抱えており、小学部から高等部まであるものの、全校生徒合わせて20人弱のとても小さな学校でした。
時が経ち、中学生になった僕には、2人のクラスメイトがいました。彼らは不登校が原因で在籍していたため、身体は健常者と変わりません。
僕たちは本当に仲良しだった。障害者や健常者に壁なんかない。そう思っていました。
高校受験が迫り、僕はエスカレーター式に同じ学校の高等部への受験が決まっていました。しかし、彼らは地域の高校への受験を控えていたのです。
「僕も受験をしたい」
そう言いつつも、現実を見ると退院さえもできない環境でした。
悔しかった。挑戦すら、彼らと同じ土俵にすら立てない自分が、とても惨めだった。
初めて社会の壁を目の当たりにし落ち込んでいた、そんなときにある一冊の本に出会います。
3.一冊の本が僕を変えた
同じ障害を抱える起業家、佐藤仙務さんの『寝たきりだけど社長やっています』という本に出会いました。現実を受け入れるしかないと思っていた人生が一変することになったのです。
これまで障害者は、稼げない、社会で輝けないと勝手なイメージを抱いていましたが、佐藤さんは、指先一つでビジネスを展開し、起業して数年でサラリーマンと同じくらいの収入を得ていました。
その日から、社会に出て働く姿が僕の目標となりました。
「俺、大学に行きます!」
気づくと病院スタッフや学校の先生の前で、こう宣言をしていました。重度身体障害者の進学ケースが僅かなことや、退院の前例がないことは僕にとって関係なく、ただただ外に出たいという気持ちで、大学の入学まで突き進みました。
4.10年の入院生活を終えて感じたもの
大学に進学すると同時に、福祉サービスを活用して一人暮らしを始めました。
退院後、10年ぶりとなる社会生活はわからないことばかりでした。毎日が発見で、勉強です。
でも、生きてるって感じました。
人生の全ての決定を他人に任せて、生かされているのではなく、生きていると実感できたのです。
僕は偶然一冊の本に出会い、偶然人に恵まれ、今の環境を手に入れたと思っています。でも偶然ではダメなのです。
入院生活の中で、先輩や友人が働きたくても働けないという姿を何度も見てきました。そして志半ばで亡くなった友人もいます。
僕がAyumiのライターとして参加させていただいた理由は、障害を理由に挑戦を諦める人を1人でも減らしたいと強く思っているためです。
ライターとして主に担当している「障害と向き合う挑戦者」では、障害当事者の方やご家族、支援者の方をインタビューして、そのルーツを紹介しています。
こうした記事をご覧いただき、多種多様な選択肢を知っていただくのはもちろん、小さな一歩を踏み出すきっかけにしていただけると嬉しいです。
そして、僕自身も自宅で0からスキルを学び、仕事をしている挑戦者だと自負しています。
Ayumiと共に、人生の選択肢を増やし、ワクワクできる未来を必ず実現することを宣言して、僕の紹介を終わりたいと思います。
他にも魅力的なライターがAyumiには在籍していますので、ぜひこちらもご覧ください。