あなたは障害者モデルの存在を知っていますか?
今回はアクセシビューティーマネジメントに所属の障害者モデル、丸橋主有さんを取材させていただきました。
丸橋さんが初めて表現活動に触れたのは中学生のとき。全身を使って心を動かすダンスに魅了され、丸橋さん自身もダンスで勇気づけられる存在になることを目指していました。
しかし、突然の事故によって頚椎損傷となり、車椅子生活を余儀なくされました。
大好きだったダンスもできずリハビリの日々。
丸橋さんは、どのようにして障害者モデルとなったのでしょうか。取材ではルーツに迫るとともに、これからモデルとして表現したい想いについても語っていただきました。
目次
1.株式会社accessibeautyってどんな会社?
株式会社accessibeautyは「障がい×美容が当たり前の社会をつくる。」を理念に掲げ、障害者専門の芸能マネジメント(アクセシビューティーマネジメント)をはじめ、芸能スクールやインスタグラム上のWEBマガジン”porte”などを展開されています。
アクセシビューティーマネジメントには、年齢は問わず約25名の障害者モデル・タレントが在籍しています。一人ひとりが障害当事者でありながら、表現者として活動しているのです。
また、毎年オーディションを開催し、所属モデルを募集しています。応募条件は心身にオリジナリティがあること。
丸橋さんもオーディションで合格をもらった1人です。アクセシビューティーマネジメントに所属して、モデルとしても人としても成長するきっかけになったといいます。
興味がある方はぜひ下記からご確認ください。
ここからは、丸橋さんの人生を振り返っていきます。
2.丸橋さんってどんな人?
2-1.目が覚めると体が動かなくなっていた
【インタビュアー(ライター):赤石/インタビュイー:丸橋さん】
赤石:受傷したときの様子を教えてください。
丸橋さん:バイクと車の接触事故でした。
実は、事故をする直前の記憶がないんです。僕が覚えているのはバイクでツーリングをし、目的地を目指していたところまでで、気づけば病院のベッドにいました。
目が覚めると、身体が動かないのはもちろん、人工呼吸器を装着している影響で喋ることすらできなかったんです。横にいた母親に文字盤を使って「何があったの?」と聞き、初めて自分に起こった出来事を知りました。
赤石:頸髄損傷と知ったときはどのような心境でしたか?
丸橋さん:後日医師から頸髄損傷であると伝えられたのですが、そもそも頸髄損傷を知らなかったため、最初は、運動神経が良いから何とかなると楽観的に捉えていましたね。
ただリハビリをすればするほど、治らないことがわかってくるんです。受傷前は簡単にやっていた動作でも、何度リハビリをしてもできず、その時に初めて頸髄損傷を理解しました。
自分の身体なのに思うように動かせないことが、悔しかったですね。
2-2丸橋さんの心の支えになったもの
赤石:3年間リハビリ生活を送られたそうですが、丸橋さんの心の支えになったものはありますか?
丸橋さん:一番は両親の存在ですね。
事故直後から頻繁に面会に来てくれて、リハビリの成果を話すととても喜んでくれたので、どれだけ辛くても頑張ろうと思えました。
父親は、僕が頸髄損傷とわかって直ぐに福祉車両を買ってきてくれたんです。だから、長い入院生活の中でも、外の世界へ連れ出してもらえたので、1人で塞ぎ込むこともなく前を見ることができました。
本当に両親には感謝しています。
加えて頸髄損傷の方が入所する施設での経験も支えになりました。
頸髄損傷と一括りにしても、損傷箇所によって麻痺の範囲は異なります。施設の中には僕よりも重度な方もいましたが、懸命にリハビリに取り組む姿に「自分も頑張らなきゃ」と勝手に鼓舞されていました。
赤石:リハビリ生活を終えて外の世界へ飛び出した時に、これまでとの違いを感じることはありましたか?
丸橋さん:ありましたね。
受傷前もバリアフリーという言葉はたくさん耳にしてきていたので、車椅子生活になっても暮らしやすい世の中だと思っていたんです。
ただ実際に車椅子で外に出てみると、スロープの角度やお店のドアが引き戸だったりと、まだまだ住みやすい社会とは言えないと感じました。
そしてバリアフリーの多くは介助者がいることを前提に考えられているとも感じました。
車椅子で生活するようになるまでは、このような視点で世界を見ることはなかったですね。
2-3.アクセシビューティーマネジメントに応募したきっかけ
赤石:アクセシビューティーマネジメントに応募したきっかけについて教えてください。
丸橋さん:一人暮らしの生活にも慣れてきて、仕事を探していたのですが、僕自身特別なスキルがあるわけではなかったので、どんな仕事をしようか悩んでいた時期がありました。
そんな時に訪問リハビリの先生に「なんで丸橋くんは、そんなにリハビリを頑張れるの?」って聞かれたんです。思い返すと、入院中も僕が頑張っている姿を見て勇気をもらえたと看護師から言っていただくことが何度かありました。
人に勇気を与えられる仕事がしたい、とこの時に強く思ったんです。僕が挑戦する姿を見てもらえれば、勇気を与えるきっかけになると思うようになりました。
その方法を調べていると、アクセシビューティーマネジメントの過去のオーディションが出てきたんです。同じ頸髄損傷の人が参加している姿を見て、これだと思いました。
「今年もオーディションやってくれないかな」
そう思っていた2ヶ月後にオーディションの告知があり、その勢いのまま応募しました。
書類審査とzoom面談、最後に対面での面談を経て合格通知が来た時はとても嬉しかったとともに、本当に僕で良いのかとモデルを生業としていく責任も感じました。
赤石:モデルのお仕事に対してどんなところにやりがいを感じますか?
丸橋さん:やはりInstagramでメッセージをいただけた時は嬉しいですね。
僕の活動を見て、障害者モデルを目指してくれる方もいて、モデルという仕事を通して勇気を与えられているということにやりがいを感じます。
今はまだ駆け出しですが、これからもっとメディアに出ていくことで、勇気を感じてもらえる機会が増えるのかなと思います。
3.モデルとして表現したい想いとは
赤石:丸橋さんは障害者モデルの存在が社会へどんな影響を与えていると思いますか?
丸橋さん:頸髄損傷も含めて、障害者と接点がないと障害を理解することは難しいと思うんです。
最近では、障害者がテレビに出たり、雑誌に掲載されたりすることが普通になりつつあると感じており、障害者モデルという存在が、こうした時代の変化に少し貢献できたのかなと思います。
障害者モデルは、障害について知る機会を与えていると感じていますね。
赤石:モデルとして大切にしていることはありますか?
丸橋さん:人間性やメンタルの状態は表情にも現れます。
もともと僕は自分に自信を持つことが苦手でした。そのため自信が持てるまで努力することを意識しています。ただ努力するだけではなく、どうすれば自信が持てるのかを常に考えながら努力しています。
そして何より大切なのは礼儀です。
ありがとうございます、ごめんなさいはもちろんのこと、人と接する時の態度も人間性が現れるので、モデルとして常に良い表情を出せるよう内面を磨いていくことも意識しています。
赤石:アクセシビューティーマネジメントはどんな存在ですか?
丸橋さん:可能性を与えてくれる存在だと思います。
与えてくれるのはあくまでも可能性です。
モデルという仕事は、自分から発信をして、様々な方に見ていただけて、お仕事をもらえるので、いかに自分が努力するかが最も大切だと思っています。
その努力や実力をアクセシビューティーマネジメントが見たうえで、お仕事を振っていただけるようになります。待っているだけではお仕事は来ないので、僕がモデルとして活躍できる可能性を与えてくれる存在ですね。
4.読者へ送るメッセージ
赤石:最後に読者へメッセージをお願いします。
丸橋さん:僕は自信がなくて一歩が踏み出せない人生を歩んで来たので、挑戦に躊躇する方の気持ちはとても分かります。
挑戦も確かに大切ではあるのですが、まずは自分を好きになってみてください。みなさんも、自分はこの瞬間が最も輝いていると思うときはあるはずです。
僕にとってはダンスでした。障害を負ってから、輝ける場所を失ったと思っていましたが、表現することが好きだったので、モデルを選択しました。
自分が輝ける瞬間がわかると、挑戦しやすくなると思うため、まずは自分が自分の1番の理解者になって欲しいと思います。
5.最後に
筆者は取材の中で、丸橋さんに対し明るく前向きな印象を抱きました。
丸橋さんのおっしゃるように、最初は自信がなく前向きでもなかったかもしれません。しかし、モデルとして写真に映る自分と向き合い続けた結果、少しずつ勇気を与えることができてきたのだと思います。
丸橋さんの活動が気になる方はぜひSNSをご覧ください。
Instagram:https://www.instagram.com/shu_maruhashi500/
また、四肢欠損という障害のため、片腕がない姿をSNSで発信されている「片腕の人生」さんの記事もおすすめですので、こちらからぜひご覧ください。