「私のせいだ」と何度も自分を責めた。でも諦めたくなかった。そう君ママと重度心身障害児のそう君の軌跡に迫る。

今回お話を伺ったのは、佐賀県佐賀市で活動するピアサポート団体「ケアマミ」代表の山下祐子さん(そう君ママ)です。

そう君は生まれる前に起きた脳出血の後遺症で肢体不自由が残り、普段はバギー(車椅子の仲間に分類される移動用具)に乗って生活しています。

全盲・ウエスト症候群(点頭てんかん)・自閉症の診断を受けている重度心身障害児のそう君と生活する、そう君ママ。

同じ境遇にいるご家族に届けたい」と、重度の障害児を育てるご家庭に向けて、InstagramやYouTubeをはじめとするSNSでの情報発信や、サポートツールを販売するなど、その活動は多岐に渡っています。

そう君ママに、障害児の育児について、また「ケアマミ」の活動への想いを伺いました。

1.そう君ママってどんな人?

1-1.妊娠8ヶ月で子供が障害を抱えて生まれてくるとわかった

【インタビュアー(ライター):屋富祖/インタビュイー:そう君ママ

屋富祖:そう君が生まれる前に、障害者施設での勤務経験があると伺ったのですが、そう君ママはもともと障害者福祉分野に関心が高かったのでしょうか?

そう君ママ:もともとは介護福祉士の資格を取るために専門学校に通っていたんです。そこで、国家試験受験のため、知的障害者の入所施設で実習を受ける機会がありました。

その時に出会った皆さんがすごくまっすぐで、素敵で。その純粋さに惹かれて「私も関わりたいな」と思って、介護福祉士として勤務し始めました

そこでは重度の障害認定を受けている方々の入浴や食事介助をしていて、言葉でのコミュニケーションは少なくても、楽しく仕事ができていたと思います。

屋富祖:お仕事を通じて、障害のある方との関わりを経験されているそう君ママですが、ご自身のお子さんの障害がわかった時は、どのようなお気持ちでしたか?

そう君ママ:妊娠7ヶ月の時に出血があって、管理入院をしていました。8ヶ月を迎えたころ、定期エコー検査で「脳出血を起こしていて、障害が残る」ということが分かったんです。

それから出産までの約3ヶ月間は、精神的にすごく不安定になりました。ずっと入院していたので、時間があれば母や主人に泊まりに来てもらっていました。

やっぱり自分の子どもが障害児となると、仕事とは違って当事者になるので、受け入れるのはなかなか難しかったです。

「障害のある子は育てられないかな、私には」って思ってました。だから自分の中に差別意識みたいなものがあることに気づいて、それもすごくショックでしたね。

屋富祖:生まれてきた時は、どのようなお気持ちでしたか?

そう君ママ:帝王切開で出産してしばらく安静にしていたので、そう君に会えたのは産後3日目だったんです。NICUに行って顔を見たら、びっくりしました。可愛くて、主人にそっくりすぎて(笑)

屋富祖:「自分の中の差別意識に気づいた」とおっしゃっていましたが、可愛いと思えた自分や、ご家族の反応はいかがでしたか?

そう君ママ:「我が子は可愛い」と聞いてはいたけど、本当にそうだなと。主人は生まれてすぐNICUに入れてもらえたので、一番最初にそう君の顔を見て「めっちゃ俺にそっくり!」と喜んでいました。

私・主人の両親と妹も手術室の前で待っていてくれて、「もう(主人の顔)そのままじゃない?」とみんなが思うレベルで似ていたみたいです。

1-2.我が子の障害を受け入れられているのか?今でも葛藤している

屋富祖:そう君の障害を受け入れるまでには、どういった葛藤やお気持ちの変化があったんでしょうか?

そう君ママ:周りの人ともよく話すんですけど、障害受容できているかと言われたら、受け入れられない気持ちも、やっぱりまだあります

元気な子を見ると「いいな」と思ったり、「元気で産まれてきてくれたらよかった」という気持ちがあるので、受容できてるのかな?と自分でも思うんです。

屋富祖:今すごく、正直にお話しいただいた感じがして、「障害を受け入れる」って簡単に聞いてしまったなと思っていて…。

そう君ママ:「もう大丈夫、大丈夫」と言っているママほど、意外と乗り越えてなかったりするんだなと思うんです。

主催するサークルで、お子さんが成人されていてもまだ受け入れられていないという先輩ママからのお話も耳にしました。

私自身、そう君の障害を受け入れられているのかな?と、最近も考えることがありました。

2.そう君の成長と周りのサポートが私を支えてくれた


2-1.児童発達支援施設のサポート

屋富祖:そう君が生まれてから、つながって良かったサポートはありますか?

そう君ママ児童発達支援施設に通い始めたのは、結構大きかったと思います。1歳〜3歳までは母子通園が必要で、3歳から年齢が上がるごとに、子供だけを預かってもらえる日数が増える施設でした。

母子通園していた時は週5ぐらい通っていましたね。保育士さんたちがいてくれるので、お歌を歌ったり折り紙をしたり、運動遊びをして過ごしていました。

そう君、5歳〜8歳くらいまですごく大変な時期で、夜に泣いて叫んで全然眠らず、2時間寝たら1時間起きるっていう生活だったんです。主人が夜勤を終えて夜中3時ぐらいに帰ってきて、そう君を見てくれている間に私が寝るという日を繰り返していました。

屋富祖:とても大変な毎日です…。日中はお家にいる方が、お母さんは休めるのかな?とも思うのですが、週5日通園するのには理由があったのでしょうか?

そう君ママ:そう君は、家にずっといられない子だったんです。なので、夜中に寝なかったら、ずっとドライブをしていました。日曜日に、ちょっとお家にいられる時間があるくらい。

屋富祖:そう君自身が、お外に出たがるお子さんだったんですね。

そう君ママ:大泣きしてても「ドライブ行く?」って聞いたら泣き止むんです。お出かけが好きというか、今考えるとこだわり(自閉症の特性)だったのかなと思います。

通っていた児童発達支援施設は、多い時だと20人くらいの親子が集まって一緒にお昼ご飯を食べていました。そこでママたちと繋がれたのが、私にとっては1番大きかったですね。

2-2.自閉症スペクトラム症の特性への工夫

屋富祖:自閉スペクトラム症の特性が、診断を受ける前から見られたとのお話もありました。そう君との生活で、工夫されていることはありますか?

そう君ママ:そう君が自閉症の診断を受けたのは、小学2年生の時でした。

ある時、てんかん発作が起こった時の指示書を学校に提出するために、病院でてんかんの診断書を書いてもらったんです。その診断書の中で、色んな障害の名前が書いてある最後の方に「自閉スペクトラム症」と書いてありました

屋富祖:診断書を見たら書いてあったって、驚きますね。

そう君ママ:驚いて(笑)そこで初めて自閉症の診断を受けたので「特性に合わせた対応方法は何かないかな」と思って、参考書などを取り寄せて調べました。

勤めていた入所施設で、視覚支援もやっていたので「そう君は目が見えないけど、必要なことはしないと」と思って。そう君が1日のスケジュールを理解するためにシンボルを使って伝えるルーティンを始めました。

屋富祖:このシンボルを理解するのも、すごいなと思ってYouTubeも拝見していたのですが、どのようにルーティン化したのでしょう?

そう君ママ:まず「学校」のシンボルをあまり深く考えずに、ハンドベルに決めました。そして、そう君のランドセルにベルをつけて、学校の教室の入口にも同じベルを下げてもらって、マッチングさせるんです。

そう君は音が鳴ると理解してくれるので、音で伝えるようなシンボルにしています。他の場所も同じように、デイサービスでもシンボルと場所のマッチングをやってもらっています

屋富祖:朝、ルーティーンを確認するためのシンボルと、カバンにつけるシンボルと、現地にあるシンボルのようなイメージでしょうか?

そう君ママ:そうです。 デイサービスに入る時には、大きなハンドベルを準備して「デイサービスはここだよ」と鳴らして伝えてもらうというルーティンを、スタッフの方にも理解していただいています。

屋富祖:学校やデイサービスとも連携されているんですね。

2-3.生活の中で気付くそう君の成長

屋富祖:これまで、そう君の成長を見守ってこられて、印象的だったことはありますか?

そう君ママ:私は結構、ルーティンにしても「何でもやってみよう」という性格なのですが、主人は意外と「そう君そんなの分かってないよ」っていう見方をしていたんです。でも、私たちが思っているより、理解していることやできることが増えているのに驚かされます。

今は左右もしっかりわかっていて、「右足上げて」って言ったら右足を、「左足上げて」って言ったら左足をちゃんと上げてくれて、靴下を履く動作のお手伝いもしてくれます。

急にできるようになるというより、私たちが「こんなこともできるんだ」って気付くっていう。

屋富祖:すごいですね。日々の積み重ねがあって、自然に身についていったものなんでしょうか。「学校ではこういうことできてたよ」という連絡もあるんですか?

そう君ママ:ありましたね。小学5年生ぐらいの時かな。私たちはそう君って童謡しか聞かないと思ってたんですよ。童謡しか聞かないし、好きじゃないって思ってたんです。

特別支援学校へ入学すると、1人1台タブレットの支給があり、学習の中で使用しているんですが、先生から「あいみょんが流れた時にすごい喜んでました」と報告があって。

日頃から車の中ではJ-POPの音楽を流しているんですけど、「そう君、あいみょん好きだったんだ〜!」って驚きました。

屋富祖:成長とともに、興味も広がってるんですね!

3.育児をしていくなかで、そう君が教えてくれたこと

屋富祖:そう君の育児から学んだことや、育児で大切にしていることはありますか?

そう君ママ:子供の可能性は無限大だなって思います。親が諦めてたことも、本当はできていたりするので、まずやらせてあげる環境を整えるっていうのも、必要なのかなと思います

私が育児で大切にしていることは、「親の笑顔が子供に伝わる」と思って、自分の機嫌は自分で取れるように心がけていることです。

そう君、大変な時期が長かったので、私のイライラが溜まってしまうこともあったんです。アンガーマネージメントを学んで「イライラした時は6秒数える」を実践してみたり、別の部屋に行って深呼吸したりしていました。

ずっと泣いてる子だったので、「手を挙げてしまうママの気持ち、わかる」っていう時期もやっぱりありましたね。

そう君が小さい頃は、一心同体のような感じになっちゃってたんです。離れる時間も必要と思ってはいたんですけどね。重度の障害がある子の育児は、24時間目が離せない部分もあるので、一心同体のようになってしまいますが、ほどよい距離が大事かなと思います。

屋富祖:今はどうなんでしょう、その距離感って?

そう君ママ:すごい今、いい感じかなと思ってます。重心(重症心身障害)の子も成長するので、聞く音楽がちょっと変わったりもして。最近は「こっち来るな」っていう風に言われるので、近付かないようにしてます(笑)

屋富祖:それは、そう君が1人の時間を楽しみたいっていう?

そう君ママ:そうですね。あんまりスキンシップも求められないですね。昔はそう君から「こっち来て」って言ってたんですけど、今はなんなら肘打ちされます、「あっち行って」って。

屋富祖:13歳らしい感じですよね(笑)

4.同じ想いを持つ人たちのために。「ケアマミ」立ち上げの背景とこれから

屋富祖:「ケアマミ」を立ち上げた背景を伺ってもよろしいですか?

そう君ママ:Instagramで私がバリアフリー住宅などの情報発信を始めた時に、フォローしてくださった方のアカウントの投稿を見てみたら、偶然うちの近所の方だと分かりました。同じ療育施設のイベントの様子もアップされていて「同じ施設のイベントじゃん!」と思って連絡してみたんです。

それが、今ケアマミの副代表をしてくれているママなんですけど。

屋富祖:すごい!そんなことあるんですね!

そう君ママ:バリアフリーのお家を検討していてフォローしてくれたみたいで、近くに住んでるとは思ってなかったみたいです。

そのママが、私とそう君が通ってた児童発達支援施設に通っていて「今は預かってくれる場所が増えたから母子通園したいお母さんが少なくなって、通園しても1人しかいない」って言ってたんです。

屋富祖:10年前に通われていた施設の利用者さんが、減ってしまっていたんですね。

そう君ママ:地域で通える施設の選択肢が増えてよかったと思っていたんですが、「私が通ってる日は1人しかいなくて、誰とも喋らず1人で食べてる」と聞いた時に、それはいかん!と思って「茶話会やる?」という提案をしました。

お互いの家が歩いて5分ぐらいの距離なので「近くの公民館でやろうか」と決めて。2023年の1月に副代表と知り合って、3月からケアマミの茶話会を始めたんです。

屋富祖:そこから、月2回の茶話会をここまで継続されているんですね。そこに集まってくださるお母さんは今、何人くらいいらっしゃるんですか?

そう君ママ:先日クリスマス会をした時は、66人くらい集まっていただきました。佐賀市内だけじゃなくて、佐賀県内や、福岡県の方からもいらっしゃいました。

屋富祖:すごーい!輪の広がりが早いですね。

そう君ママ:予想外で、ありがたいです。テレビ等で取り上げてもらったのが大きくて、知ってすぐに来てくれる方もいます。そして、やっぱり「つながりが欲しい」という方が多いです。

私は「つながる」っていうのはもちろん大事だと思うのですが、子供が同世代のママたちで話しても、分からないことだらけだっていうのを実感していて。

児童発達支援施設に通っていた時も、先輩ママの話が聞きたくて、ママたちを30人ぐらい集めて、学校の話を聞くお話会を私が企画することもありました。

もともと私がそういう情報が欲しかったので、サークルはずっとやろうと思っていたんですが、なかなか実行できずにいて、やっと最近立ち上げたっていう感じですね。

屋富祖:お父さんのご参加もあるんですか?

そう君ママ:あります、あります、もちろん。

屋富祖:そっか、お父さんもそういったつながりを求めてこられてるんですかね?

そう君ママ:2023年9月に写真撮影会っていうイベントをやってみたら、パパたちも参加されていて。喋るのが苦手な方が多いので言葉数は少ないですが、パパ同士が出会う機会もないので「パパ向けの会もやってもらいたい」という声はありますね。

屋富祖:いろんな活動をされてきて、そう君ママの活動の原動力とかエネルギー源ってどういったところにあるんでしょうか?

そう君ママ:やっぱり、同じ境遇のママやご家族のために、私の経験が少しでも役に立てればいいなという思いだけです。

屋富祖:今、つながりが広がってきているのを見て、さらにそう思われるんでしょうかね。

そう君ママ:そうですね、Instagram等でも、フォロワーさん達から「いつもありがとうございます」って言ってもらえるんですよ。そういう声を聞くと、「やっててよかった」って思います。

5.障害児のいる家族へ届けたい言葉

屋富祖:最後に、障害のあるお子さんの育児をされているご家庭に、どんなことをお伝えしたいですか?

そう君ママ:そう君がちっちゃかった頃は、私自身あまり余裕がなかったので、抱っこした記憶とかも薄いんです。今はもう大きくなりすぎて抱っこがすごく大変なので、抱っこができる時期を少しでも楽しんでもらいたいなと思います。

あと、私自身がそう君がどんな風に成長していくか、全く分からないことが不安でした。なので、 私たちのInstagramの情報を見て、「将来こうなるかな?」「こういう風に生活しているんだな」と、少しでも将来像を想像してもらえたらなと思います。

6.最後に

今回、そう君が生まれる前の心境や、生まれてからの壮絶な体験を語ってくださったそう君ママ。さまざまな気持ちの揺れや戸惑い、不安と向き合いながら常に「そう君と向き合う」こと「育児や周りの人と向き合う」ことを大事にされてきたのだと感じました。

そう君ママが語ってくれた言葉のなかの、「障害を持っているのがそう君で、まるごと理解してあげたい」という言葉が印象的でした。

そう君の育児を、まさに“まるごと”私たちに伝えてくれているそう君ママの発信は、育児中の気持ちの変化やご家族との関わりだけでなく、バリアフリー住宅や福祉機器、福祉制度など多岐にわたっています。

これからも、そう君と、そう君ママの発信や活動を応援していきたいと思います。

そう君ママについて「もっと知りたい」という方は、Instagramやホームページ等をぜひご覧ください。

公式HP:https://zyuushinnweb.com/
そう君ママのInstagram : https://www.instagram.com/sou2010k/
「ケアマミ」のInstagram:https://www.instagram.com/caremamicircle/
YouTube:https://youtube.com/@sou2010k?si=Et7uBt5MXvDUz30J

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