個人として認識される時代を創る!吉次さんの想いに迫る!

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骨形成不全症という病気を知っていますか?今回は、骨形成不全症を持ちながら大手外資系企業や介護事業所で働かれた、吉次まりさんを取材させていただきました。

一般社会で生きてきた吉次さんだからこそ思う、健常者との接し方やあるべき関係についても語っていただきました。

当記事が「社会に出ることに不安を感じている方」や「健常者とうまく関われない方」へのヒントとなれば嬉しいです。

1.吉次まりってどんな人?

吉次さんが病気に気づいたのは、生後すぐでした。生まれて間もなく激しく泣いていることから検査をしたところ、すでにお腹の中で骨折しており、その後骨形成不全症と診断を受けました。

骨形成不全症とは、生まれつき骨がもろく、骨折や変形を引き起こす病気です。約2〜3万人に1人が発症するといわれ、指定難病に登録されています。

参照:「骨形成不全症(指定難病274)」公益財団法人難病医学研究財団

そのため、当時は国内でも症例が少なく、障害の判定にも時間がかかったといいます。

また骨形成不全症と一括りにしても、症状には個人差があり、吉次さんは重度な部類に入るそうです。幼い頃から骨折を繰り返したため、現在の身長は約85センチと、平均的な女性と比べかなり小柄です。

工夫をすれば食事や着替えはできるものの、基本的には日常生活のほとんどに介助を必要とします。

家族や教育委員会が手配した専属の介助員さんのサポートを受けながら、幼稚園と小学校は普通学校に通い、中学・高校は特別支援学校(桐が丘特別支援学校)に進学しました。

そこでは身体障害を持ちながら大学へ進学される方が多く在籍していた影響か、吉次さんも早い段階から進学を意識します。

当時、吉次さんは建築士を目指していました。その理由は、家族や友達と外出する際、お店や建物の段差に悩むことが多かったからです。段差が原因で入店を諦めることになると、家族や友達との交流にも影響が出てしまい、この問題を解決したいと考えました。

そして、高校2年生の頃から建築を学べる専門学校の体験授業に1年間通いました。

しかし、受験生となり入学について相談した結果、学内がバリアフリーでないことやサポート体制が整えられないことから断られてしまいます。このときはまだ障害者差別解消法が制定されておらず、対抗することが難しい状況にありました。

参照:「障害を理由とする差別の解消の推進」内閣府

1年以上かけて希望していた学校に受験すらさせてもらえず、放心状態となったそうです。それでも、当時の状況では進学以外に道はなく、両親の勧めもあって心理学を学べる大学へ進学することとなりました。

2.何故、1人暮らしを始めたのか?

吉次さんは、現在訪問介護(重度訪問介護)を利用して一人暮らしをされています18時から翌日の8時30分までの間はヘルパーさんに来ていただき、それ以外の時間は一人で過ごされています。

就職して3年が経ち、経済的自立が見込めるようになったことから一人暮らしを考えるようになったそうです。しかし、両親には強く心配されたといいます。

そこで吉次さんは次のように説得しました。

「お母さんが死んじゃったら、私どうするの?」

体を思うように動かせない分、家事やアルバイトといった日常生活から得る知識が健常者よりも少ないと感じていたそうです。

そのため、親亡き後に突然一人暮らしとなると大きなリスクを伴います。家族のサポートを受けられるうちに準備しておくことで、両親も安心して暮らせるのではないかと説得し、一人暮らしの許可を得ました。

心配だからといって身近に囲い込むのではなく、助けられる範囲でサバイバル生活をしていくことが、一番良いサポート環境と吉次さんはいいます。

3.リアルな就活・就職体験に迫る!

大学に入学し、心理学を学ぶことは楽しかったそうです。ですが、体を動かすことの多いハードワークであることや職が安定しづらいことが理由で、臨床心理士といった心理業界で働くことは考えていませんでした。

一般企業で就職活動をする際には、進学時と同じく障害者ならではの壁が多くありました。

一般的に、就職活動は大学3年生から始まります。吉次さんは、大学2年生のときから障害者の就職支援を行う情報サイトを利用し、さまざまなイベントに参加しました。それでも、やはりトイレ介助の理解を得ることは難しいままでした。

そして、1つの出会いが吉次さんの未来を大きく変えることとなります。

吉次さんには憧れた人がいました。芸能人でもアーティストでもありません。同級生のお母さんです。

ヒールやキレイなスーツを着こなし、ドラマに出てくるキャリアウーマンのような姿を見て、「この人みたいなかっこいいOLになりたい!」と強く思うようになりました。

そして、就職活動に苦戦しているころ、そのお母さんが働く企業を見学したいと頼んだ結果、インターンシップが実現します。課題はあったものの、一つ一つ工夫をしていき2〜3週間のインターンシップを終え、初めて働くイメージができたといいます。

その後、インターン先の企業で面接試験の際、吉次さん持ち前の行動力と明るさが面接官の目に留まり、無事に採用となりました。

4.どんなに大変なことがあっても諦めない

大手企業で働く毎日は充実していたものの、これまでに体験したことのないハードワークだったと吉次さんはいいます。8年勤めましたが、心身ともに疲労が重なり、退職しました。

その後、介護事業所に就職するものの、またもや大きな壁にぶち当たります。2020年から蔓延した新型コロナウイルスです。

これによりトイレ介助の人員が減り、周りへの気配りから自ずと水分量を減らすなどして工夫をしていましたが、徐々に体への負担が大きくなっていきました。

追い討ちは大腿骨の骨折です。これにより4ヶ月の休職を余儀なくされました。その影響もあり、退職となりました。

骨折はこれまでに何度もあり、その度に生活が止まってきました。一番辛いのは、車いすや障害という理由で、行きたい場所や受けたいサービスを諦めなければいけないときだといいます。

障害や車いすユーザーと一括りにしても、それぞれ状態は異なりますが、コミュニケーションを図る前に断られる場面を何度も目の当たりにしてきました。

これまでの経験から、知ってもらうことが一番の理解につながるといいます。そのため、健常者のイベントに積極的に参加するよう心がけているそうです。

ダンスもその一つです。ダンスチームに参加していく中で、プロのダンサーとコラボが実現しました。

参照:Permobil Japan|〈ペルモビール〉NEW STYLE HUSTLE【Zabu&Mari】

また、吉次さんには現在目指している職業があります。それは、タレントですより広い方に知ってもらうため、メディアを通して自分を表現したいといいます。

苦難の度に冷静に向き合い、行動されています。諦めるのではなく、常に挑戦者であり続ける吉次さんの今後がとても楽しみです。


5.吉次さんが描く明るい未来とは?

吉次さんが介護事業所で講習をしていた際、障害者との関わり方について聞かれることがありました。

障害者はカテゴライズされやすい傾向にありますが、基本的には健常者と一緒です。コミュニケーションを図りながらお互いを知っていくのです。配慮が必要な場合があっても、特別距離の縮め方に工夫は入りません。

一方で、障害者側も社会に出ることの必要性を感じているといいます。表に出て健常者との接点を持つことで、より理解が深まります。お互いがお互いの文化や価値観を理解して関わる必要があると考えているそうです。

障害者自体の認知度は年々高まっています。しかし、障害者の中でも性別や病気、性格、価値観は人それぞれ違います。これからはもっといろんなバリエーションのある障害者が表にでることで、個人認識される時代だといいます。

その一人として、吉次さんの姿がメディアで見られる日も遠くないのかもしれません。


6.最後に

今回の吉次さんに関するインタビュー記事はいかがでしたか。

取材の中で「なんとなく進学して、なんとなく就職した」とおっしゃっていましたが、ライフストーリーを紐解くと、ターニングポイントの度に自分で決断し、常に挑戦者であることがわかりました。

車いすの吉次さんではなく、個人として表現し続ける吉次まりさん。あなたも吉次さんのように一歩踏み出し、自分を表現してみませんか。

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