脳性麻痺×車椅子利用者×ソーシャルワーカーの私だから伝えられること – miku

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今回お話を伺ったのは、ソーシャルワーカーとして福祉の現場で活躍しながら、SNSで自身の体験や考え方を発信し続けている、mikuさん。

mikuさんのSNSには、障害のある当事者の方や、障害児の子育てに悩む保護者からの応援、共感のコメントが寄せられます。2023年には、約4万6000人から署名を集めた活動も注目されました。

mikuさんの活動への想いや、その価値観や行動力の原点について、お話を伺いました。

1.mikuさんってどんな人?

1-1.ソーシャルワーカー(社会福祉士)を目指したわけ

【インタビュアー(ライター):屋富祖/インタビュイー:mikuさん

屋富祖:ソーシャルワーカーを目指し始めたのはいつ頃でしたか?

mikuさん:高校時代、進路選択の時期に大学で何を勉強しようか考えていて、卒業後はどんな仕事があるのか調べていたときに、ソーシャルワーカーや社会福祉士という言葉を知りました。

屋富祖:その段階で、福祉に携わる仕事をしようと決めていたのでしょうか?

mikuさん:私より年上の車椅子ユーザーの知人から「福祉の勉強をしている」という話を聞いたことがあって、どういう仕事や勉強があるのかな?と興味は持っていました。自分が車椅子に乗っているので、福祉が身近にあったっていうのは確かにあると思います。

屋富祖:どんな大学生活でしたか?

mikuさん:​私の通っていた大学は、国家試験の対策に力を入れるというよりも、一人ひとりの考え方や価値観、倫理観のようなことを大事にしていたんだなと、今になって思い返していて。

自己覚知というか「自分と向き合う」という部分に力を入れていた大学でした。

屋富祖:国家試験を受験するにあたって、現場実習にも行かれましたか?

mikuさん:私は地域包括支援センターに行きました。「自分が障害者だから障害者福祉分野に行きたい」とは思わなかったんですね。自分と比べてしまいそうで、失礼だなと思って​。

支援の対象にこだわりもなかったので、児童や高齢者など、違う分野に行き着くと思っていたときに、たまたま地域包括支援センターにご縁がありました。

屋富祖:そのなかで、印象的だったことはありますか?

mikuさん:私にとって、その実習での体験がすごく大きくて。私の指導担当をしてくださった社会福祉士さんは、訪問など外回りをしながら相談対応をしている方でした。

私は車椅子に乗っているので、どこまで訪問や外回りの仕事ができるかわからなくて。お留守番が多くなってもしょうがないかなと思っていたのですが、その指導者さんがすごい方で。

階段がたくさんあるお家に訪問するときでも、全然遠慮なく私を連れ出してくださったんですね。段差の昇り降りでも、周りの人に「ちょっと持ち上げてもらえませんか」と積極的に声をかけてくださったりして。

なかには、車椅子のタイヤごと家の中に入るのに対して「汚れるから嫌だな」と反応されるご家庭もありました。それに対して「あとで床、拭きますよ」と、もちろん伝えてくださっていました。

でも、絶対に謝らなかったんです。“車椅子の人を連れてきてすみません”という扱いをしないで、私を1人の人として見てくださったのが、その指導者さんでした。

屋富祖:素敵です!追いかけたい背中となるような方に出会えたんですね。

mikuさん:実習最終日に「私みたいな人でも、現場で働けますかね?」と聞いたら、「全然いけると思いますよ」と答えてくださって。そういう経験がなかったら、福祉の現場で働くのを諦めていたかもしれないと思いました。

1人でもそういう風に言ってくれる人が現場にいるなら、きっと他にもいるはずって思えたんです。

1−2.恩師の言葉に背中を押された大学時代。ボストンでの研修で学んだこと

屋富祖:とても濃密な経験をされた学生時代だったのかなと思います。mikuさんの背中を押してくれた言葉や、奮い立たせてくれた言葉はありますか?

mikuさん:私、自分はすごい頑固だと思ってて(笑)おかしいと思ったら、黙っていられないタイプなんです。なので「周りの人を傷つけないようにしなきゃ」とか「もうちょっと空気読んで動いた方がいいかな」と思うこともたくさんありました。

でもその度に、いろんな人が私のそういう部分を大事にしてくれて「mikuはそのままでいい」と言葉や態度で示してくれました。

すごく印象的なのは、大学時代の先生が「mikuは、人が尊厳を傷つけられたときに正しく怒れる人その怒りを大事にして、原動力にして進みなさい」と言ってくださったことです。

自分は周りと違うと思っていたので、「孤独だな」と思うことも学生時代は特に多かったんです。​自分の意見はあるけど、それを貫き続けるのが孤独に感じて。

「私は一生、このまま孤独になり続けるんだろうか」と思っていたときに、先生が「声を上げるっていうのは孤独なんだけれども、孤独な人同士が繋がると強さになる。だから自分がやるべきだと思ったことを続けなさい。」と教えてくれて。

私は先生のことを信頼していたので、いくら孤独になっても、自分が大事にしたいことを大事にし続けて、自分のやるべきことをやり続けていこうと思えました。

屋富祖:すごく素敵な言葉です。他にも、ボストンへ海外研修に行かれたと伺いました。そこで印象的だったことはどんなことでしょうか?

mikuさん:私が参加したのは、ボストンで6ヶ月間のインターンシップをするプログラムでした。

研修に行くまでは、「社会モデル(障害は個人ではなく社会の問題である)」という考え方について、「障害は社会の問題って言うけど、結局個人の責任にされて、個人が努力や我慢しないといけないじゃないか」と思っていました。

でも、アメリカでは、自分たちの権利を守るために自分たちで声を上げるんだという動きが盛んなんです。それを見て「マイノリティだからしょうがないって諦めるのではなく、声を上げないと社会は変わらないんだ」と実感しました。

社会が変わって欲しいって思うなら、自分がまず変わらなきゃいけないって思ったんです。

社会の中には自分もいるのに、ただ「変わってほしい」と思っているだけでは、めちゃくちゃ他力本願だなって。そう思うなら、社会は変わるはずだと信じて、自分が行動しないと変えられないことを学びました。

1−3.JRへの署名活動で40,000人から集めた原動力と行動の原点

(写真提供 Change.org.japan)

mikuさんは、2022年4月から“車椅子ユーザーがJR利用時に何本も電車を見送らず電車に乗れる、駅間連絡の仕組みをつくってもらいたい”という署名活動を始め、同年の秋に国土交通大臣へ約40,000人分の署名を提出されました。

屋富祖:署名活動のきっかけをお聞かせいただけますか?

mikuさん:私は、自分が理不尽な思いをするより、誰かが理不尽な思いをしているのを放っておけないタイプで。

普段、私も電車を利用していて「歩ける人は目の前の電車に飛び乗れるのに、なんで私たちは20〜30分も待たなきゃいけないんだろう」と思いながら、車椅子ユーザーってそんなものなのかなと、諦めていたんです。

そのことをInstagramのストーリーズにアップしたら、障害のある息子さんを育てるママから反応があって。

「私達は悲しい思いや、悔しい思いをしても、些細なことだと思って我慢しながら生きていかなきゃいけないんですかね」と送ってくださったんですね。

障害って誰だって持ちたくて持ったわけじゃないし、誰も悪くないのに、どうしてそんなに人生を諦めるみたいな感じでいないといけないんだろう、すごい無力だなと思って。そんな風に思わせる社会のあり方をどうにかしたいと思いました。

社会はすぐに変わらないと知っているつもりですが、少なくともJRのこの問題だけでも解決したら、ちょっと外に出かけてみようと思えるママや、障害のある人たちが増えるのかな、何かできないかな?と数日考えてたんです。

そんなときに、オンライン署名サイトの「Change.org」で当時働いていた友達に相談したら、「オンライン署名活動にぴったりだから、ぜひ立ち上げてほしい」と話してくれて。2日くらい考えて「立ち上げてみよう」と決心しました。

屋富祖:すごい、行動力です。

mikuさん:署名ページを立ち上げたのが夕方くらいだったのですが、その日の夜には1700人の署名が集まっていました。

そこからInstagramで発信したり、友達にも呼びかけて、立ち上げて4日で1万人を超えたんです。「これは本当にみんなで変えられるかもしれない」と思いました国土交通省に提出したのは4万2080人分の署名なんですけど、今は4万6000人くらいになっています。

2.思い通りにならないことだってある。それでも日々は続いていく

屋富祖:ーmikuさんはこれまで、「目標にしていたことが叶わなかった」という挫折を経験したことはありますか?

mikuさん:私以外の車椅子ユーザーを含めて、障害のある人みんなそうかもしれないんですけど、大体思い通りにはいかないのがデフォルトなんですね。

「行きたいと思ったお店に階段しかなかった」とか、乗りたい電車に乗れなかったとか。そもそも人生は思い通りにならないものだと思っているので、コントロールをしようとしないところがあって。

だけど確かに、試験に不合格になったとか、目標が叶わなかった経験ももちろんあって。そういうのはショックですし、悔しい気持ちはあります。

でも目標が叶わなくても別の道があるし、その道を進んだ先で何かと出会って、振り返ったときに「あのときうまくいかなかったから、この道が開けて、それが今に繋がってるんだ」と考えているんです。

たとえうまくいかなくても、そこに意味を見出していたいと思います。

3.私は「可哀想な人間」ではない。目標を叶えるために大事にしていること

屋富祖:一人暮らしを始めるなど、目標を叶えるために大事にされてきたことはありますか?

mikuさん:目標を叶えるためだけじゃなくて、日々大事にしているのは、自分の中の違和感に敏感になることですね。

「これって、本当に自分がやりたいことなんだっけ?」と考えてしまうことってあると思うんです。「本当は自分はやりたくないけど、みんながやってるからやろうか」とか。

それって結局は、自分に素直に生きてないってことですよね。だから「本当は自分がどう思っているのか」と、常に自分に問いかけています。これは、私の軸だと思います。

4.読者へ届けたいメッセージ

4-1.もう頑張れないって言っても良い、一人で抱えない。

(写真提供 Change.org.japan)

屋富祖:Instagramなどを通じて、mikuさんが発信する理由はどういうところにありますか?

mikuさん:まずはやっぱり、知ってもらうことがすごく大事だからというのが一つですね。

あとは、これは私のイメージなのですが、発信してる方々がキラキラしすぎて見えることがあったんです。「歩けなくても幸せになれる」とか「障害は不幸じゃない」とか。もちろん、生き方は人それぞれなので、そのメッセージを反対や否定はしないです。

でも、生きていたらそれだけじゃないので、そういう発信を見るのが眩しくてしんどかった時期がありました。「悩んでる自分がいけないのかな、障害があっても幸せだって言い切らなきゃいけないのかな」って悩んでいたんです。

でも、アメリカで自分が声を上げていくことの大切さを学んだときに、自分が発信することは、キラキラした話じゃなくてもいいんじゃないかと感じました。

「キラキラした発信をする人は世の中にたくさんいるはず。私はそうじゃなくて、もうちょっと人間味があるところを発信したい。強くなくてもいいし、悩んでることにも意味があるんだ」っていうメッセージを伝えたかったんです。

もちろん明るい話も発信するんですけど、自分のなかの葛藤をあえて発信しているのには、そういう想いがあります。

屋富祖:SNSなどで、印象的だった反応はありますか?

mikuさん:障害のある当事者からのリアクションで、「言葉を話せない子たちの代弁をしてもらえた気分になった」「自分が言葉にできなかったモヤモヤを言葉にしてくれた気分だ」と言ってもらえることがよくあります。そういう反応をもらえたのは、よかったなって思います。

4-2.自分の気持ちに蓋もしなくて良い。たくさん悩んで泣いても良い。

屋富祖:同じ境遇にいらっしゃる方や、悩みをもつ方へどんなことを伝えたいですか?

mikuさん:そうですね。悩んでても大丈夫だよと、大丈夫じゃないときがあっても大丈夫だと伝えたいです。

屋富祖:それは先ほどもあったように、あまりにキラキラした言葉にしすぎるとか、悩まないのが素晴らしいことのように発信されがちなのは、ちょっと違うんじゃないかと?

mikuさん:というか、あり得ないと思うんです。みんななにかに悩むわけで、人生思い通りにいかなくても、別の道は絶対に見つかる。だから悩んでても大丈夫だし、大丈夫じゃないときがあっても大丈夫だと思えれば、きっと大丈夫になる。そういう風に思っています。

屋富祖:とても力強い言葉です、ありがとうございます。

4-3.伝えたいことは、言葉に乗せる。

(写真提供 Change.org.japan)

屋富祖:mikuさんの支えになっている方々との、印象的だったエピソードはありますか?

mikuさん:色々あるのですが、特に私が障害のあるなしに関係なくフラットにいろんな人と関われるようになったのは、私のことを怒ってくれる友達がいたからなんです。

小学生のときは、みんなが助けてくれるのが日常になっていました。何も言わなくても落としたものを拾ってくれるし、車椅子を押してくれたんですよ。

そういう時期があって、いつの間にか私も、何も言わなくても助けてくれるだろうと思っていたんですね。

そしたら、友達が急に私のことを避け始めて。「何で?」と聞いたら「mikuは、車椅子だからみんなが何でも手伝ってくれると思って甘えてるんじゃない?障害があるからしょうがないとか言ってないで、助けてほしいことがあるなら、言葉で言わないとわからないよ。」と。

それを言われて、すごいはっとしました。確かにそれは甘えてたなって思って。それ以降は、自分のできないこととか、やってほしいことはちゃんと言葉にして伝えないと伝わらないなと思いましたね。

屋富祖:今も繋がっている方々なんですか?

mikuさん:そういうことを言ってくれた人たちは、大体今も繋がっていますね。

5.障害は誰のせいでもない。

屋富祖:mikuさんご自身の障害については、ご家族から何歳のときにどんな説明があったか、覚えていらっしゃいますか?

​mikuさん:私の場合は生まれつきなので、説明を聞いたりする前に、自分で周りとの違いに気づいていきました。なので、改めて説明を受けるというより、日々の会話の中で自然に体の障害のことが話題に上っていたんです。

私が覚えているのは、生まれつき指がない女の子のお話の「さっちゃんのまほうのて」という絵本を母と読んだ時のことです。

「光来はこの子とは違う障害だけど、ちょっと早く生まれたから脳に酸素がうまくいかなくて、だから手とか足がうまく動かないんだよ。でもそれは誰のせいでもない。光来のせいでもないし、ママとパパのせいでもないよ」という話を母は繰り返ししてくれました

そういう会話を繰り返して、徐々に身体のことを理解しました。そのおかげで、「障害のことで誰かを責めたり、自分を責めたりしてもしょうがないのか」と、今も思えているのかなと思います。

6.最後に

mikuさんとお話していて感じたのは、その行動力の高さはもちろん、言語化するお力の素晴らしさでした。日々の小さな違和感や社会で起きていることを繊細に感じ取り、丁寧に、的確に言葉にするその姿が共感を呼び、私たちに問題提起してくれているのだと思います。

mikuさんのことが気になる!と思われた方は、ぜひInstagramをご覧ください。

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