障害と向き合う挑戦者 「人のために生きるなら自分を大切に」“10万人に1人”難病当事者の川﨑良太さんが自立生活支援をつづける理由

「人のために生きるなら自分を大切に」“10万人に1人”難病当事者の川﨑良太さんが自立生活支援をつづける理由

夫・妻・息子が顔を寄せ合っている

今回は、鹿児島県にある「CILひかり」のセンター長を務める川﨑良太さんと、川﨑さんとの生活を発信し多くの人の共感をよぶ投稿を続けている妻・ひとみさんにお話を伺いました。

1.川﨑さんってどんな人?

【インタビュアー(ライター):屋富祖/インタビュイー:川﨑良太さん・ひとみさん

1-1.「働いていないと自立じゃない」の呪縛に苦しんだ

屋富祖:特別支援学校卒業後、高齢者施設で勤務されていたそうですが、就職の経緯と当時の状況などお聞かせいただけますか?

川﨑さん:進路選択の時に、大学進学、就職、療養型病棟で生活を続けるかの3択だったんです。「進行性の病気だし、大学行ってもどうなるかわからないし、動けるうちに働きたい」と思っていました。

僕自身「障害があるから他の人より頑張らなきゃ」とか「働くことこそが自立」という信念もあり、就職の道に進もうと決めました。

屋富祖:「普通の人に近づきたい」という思いもあったのでしょうか?

川﨑さん:かなり強かったと思います。中学までは、障害を持った友人との付き合いもほとんどなかったので、高校を出たら周りの人と同じように働くものだと思っていたので。

屋富祖:なるほど。そうした「働くことこそ自立」の考え方から、変化はありましたか?

川﨑さん:ありました。当時、身体の状態は今と変わらなくて、ほとんど介助が必要だったのですが、1日合計4時間くらいしかヘルパーの支援が使えなかったんですね。

勤務していた施設と同じ敷地内のアパートに住んでいたので、何かあれば別の施設で夜勤中の先輩職員を呼んでもいいことになっていたんですけど、気を遣ってお願いできなかったんですよね。

屋富祖:必要な介助を遠慮したり、身体の不調を我慢しながら仕事を続ける生活だったんですね。何がきっかけで考え方が変わったんでしょう?

川﨑さん:あるときトイレを失敗したことがあったんです。そのときから「自分は何をやっているんだろう」と思い始めて。振り返ると、それからの働き方を考えるきっかけだったと思います。普通の人と同じように働くことへの違和感というか。

施設を退職するときに「時短勤務してもいいんだよ」と言っていただいて、今思えば適切な合理的配慮だとわかるんですが、当時19〜20歳の頃は「特別扱いを受けている」としか受け止められなくて。それから退職の道を選びました。

1-2.「CILひかり」のセンター長になったきっかけと自身の変化

川﨑さんとスタッフが話している

屋富祖:「CILひかり」で勤務を始めたきっかけと、センター長になられたきっかけをお聞かせください。

川﨑さん:高校時代に、「NPO法人自立生活センターてくてく」(以下、てくてく)の行う宿泊体験に参加しました。それは、「自立生活とはどんなものか」を体験するプログラムだったんです。

前職を退職後は実家に戻って生活しながらも、てくてくの職員さんともう一度連絡をとり始めて、自立生活に向けて準備を始めました。

それから1年後に自立生活ができて、時間もあったのでてくてくの事務所に遊びに行くようになったんです。イベントの手伝いや研修会に参加してボランティアのような活動をしていました。

そういう日々が5〜6年続いた頃、てくてくのスタッフとして働くことになり、運営にも関わるようになって。そこからさらに3年ほど経ったころ、当時の代表が他界してしまって。それをきっかけに、僕が代表に就いたというのが経緯です。

屋富祖:なるほど。てくてくさんとの信頼関係を続けてきての就任だったのですね。センター長になられたことで、ご自身に変化はありましたか?

川﨑さん:普通に働くよりは、責任が重くなりますね。それに、自分から「良くしよう」と思って動かなければ、日々何もなく過ぎていくし、悪い意味で成り立ってしまう。

屋富祖:当事者からの相談には、川﨑さんも対応するのですか?

川﨑さん:そうですね。自立生活を希望する方々と面談して、自立生活までのプロセスを一緒に考えたり、宿泊体験をしてみたり。そうしたお仕事をしています。

屋富祖:「自立をしたい」と思っても、どんなプロセスで進めたらいいのかわからない方は多いのかもしれないですね。

川﨑さん:どう動いたらいいかわからない人もいらっしゃるので、小さな疑問から一緒に考えていきます。

こちらから伝えるのは簡単ですが、「CILひかり」では当事者自身で自立生活とはどんなものなのか考えて、わかっていくのが重要だと思っているので、一緒に考えることを大事にしています。

屋富祖:「相談に行けば全部やってもらえる」と誤解される方もいらっしゃるかもしれないですね。そうではないのだと、改めて考えさせられます。

川﨑さん:そうなんです。一人暮らしを始めたとしても、全てが簡単に、楽にできることばかりではないんですよね。

なので、サービスを受ける“お客様”として接するというよりは、一緒に成長できるように関わることを大事にしています。

1−3.自立生活支援の現場から見る社会と課題

屋富祖:自立生活支援を実際に現場で見られている川﨑さんは、社会の変化をどのように感じますか?

川﨑さん社会の雰囲気として、障害者の自立生活を進めることは特別なことではなくなっていると感じます。

「自立生活したい」と言っても止められることはほとんどなくなってきただろうなと。それはよいことだと思います。

ただ一方で、当事者が人生経験を積むことを奪われている部分もあると思います。

社会に出されても、主体性を持たない存在として扱われてしまうというか。

例えば、ヘルパーさんがなんでもやってしまうとか。

マンションやアパートの一室に住んでいるのに、決められた時間に寝ざるを得ない、食事を選べないとか。

それをおかしいと思える当事者の「権利意識の土台」がないと、「施設にいるよりマシか」と思ってしまいますよね。

それも否定はしないですけど、より人間らしく自分の人生の主体者となっていくには、周りの人も当事者の主体性を尊重しなくてはいけないと思います。

屋富祖:なるほど。当事者の主体的な動きを引き出すような関わりが、サポート側には必要とされているんですね。

川﨑さん:そうですね。それをどの事業所ももっと積極的にしていけるといいですよね。

そもそも当事者が「決める」ということをやってこなかったので、当事者による、当事者の時間をかけた支援が大事だと思います。

2.川﨑さんを支える大切な家族

2-1.結婚までの道のりと葛藤

タキシードを着た川﨑さんとウェディングドレスを着たひとみさん

屋富祖:お二人が結婚されるにあたって、葛藤などはありましたか?

ひとみさん:最初は私の方が、介助者が常に夫のそばにいることに葛藤があったかもしれません。「どうやってプライバシーを確保しようか」とか。それが、一番2人で話し合ったことかな。

私自身、自分の体力的にも介護をしながら生活するのは難しいとわかっていたので、夫がずっと続けてきた“24時間介助者を入れた自立生活”をしながら結婚生活を送ることについて、とにかく話し合いました。そこが、一般的な結婚生活とは違うところかな。

屋富祖:介助者を含めて、どのようなバランスで生活しているのでしょうか?

ひとみさん:必要なときにへルパーさんに対応をお願いできるように、家のなかに待機できる部屋がある間取りの家を選ぶなども、結婚の準備としてはありました。

必要な時は対応してもらって、例えばご飯の時は待機のお部屋にいてもらったりして。

屋富祖:なるほど。ヘルパーさんとはいえ、家族以外の人がいる状況でご飯を食べるのも緊張しますよね。

ひとみさん:最初は、家族以外の人が家の中に入る生活に負担を感じることもありました。新しいヘルパーさんが入ってきたりもするので、人の入れ替わりもありますしね。

でも今は、いろんな人が入ってくれる生活を面白く感じています。

もちろん100%気を使わないわけではないですが、ご飯も一緒に食べられるようになりました。いい距離感ができているのかなと思います。

2-2.結婚生活における工夫とは?

屋富祖:ひとみさんも、葛藤がありながらいろいろなことを受け入れてこられたんですね……!

ひとみさん夫とは、困ったことがあったら常に話し合うようにしてきたので、今があります。

たぶん、一般的なご夫婦よりも話し合わないといけない場面は多いんじゃないかな。

障害があるか・ないかは関係ない部分なのかもしれませんが、「自分が我慢すればいい」と思いながらも生活はできると思うんですね。

でも私たちは、話し合わないと進めない環境だったので、それが良かったと思います。

今後何があっても、話し合って解決してきた土台があるから、それを続けていくだけだと思えるんです。

屋富祖:素敵です!川﨑さんはいかがでしたか?

川﨑さん:介助者の支援を受けて生活していくことはわかっていましたし、妻には介助をさせたくなかったので、難しさはありました。

1週間くらい介助者をお休みにしたとき、僕が体調を崩したんです。その時はやっぱりお互いに大変で、だんだん余裕がなくなっていきました。

なので実際は、介助者にはいてもらわなくてはいけない場面もあります。それは妻と対等であるために必要なことだと思っています。

人がいることを煩わしく思ったままでいるより、「どうやったら解決できるか?」と一緒に考え続けてきたおかげで、今の生活ができていると思います。それがなかったら、破綻していたかも。

ひとみさん:確かに、私がケアラーのような関わりを続けていたら、「夫婦」という雰囲気ではいられなかったと思います。ラブラブでいるのは、できなかったかな。(笑)

2-3.家族ですごせる幸せについて

息子さんが川﨑さんの口元にスプーンを差し出している

屋富祖:お子さんとすごす生活において工夫されていることをお聞かせください。

川﨑さん:僕ができることは、遊び相手だったり送り迎えをできる範囲でやっています。できることはやりたいですね。

ひとみさん:すごく助かっています。ステップファミリーなので、息子と夫が一緒にいるのはここ4〜5年くらいなのですが、息子には「こういうときは良太くんに頼んでね」「良太くんが働いてくれているから生活できているんだよ」と話したり、息子にも、“父親”を意識してもらうように関わっています。

屋富祖:ご家族でいて、幸せに感じる瞬間はどんな時ですか?

川﨑さん:やっぱり、3人だけでお出かけしている時ですね。それだけで特別感があるので、楽しいです。

ひとみさん:普段は、24時間介助者がいてくれるのですが、夫にとって介助者は後輩や同僚だったりするので、あんまり気が休まらないんじゃないかと思っていて。

月に1回は3人だけで過ごす時間をつくっています。その時はやっぱり嬉しいですね。「イェーイ!」って感じで。(笑)

屋富祖:家族水いらず、3人だけのノリがあるんですね。(笑)

川﨑さん・ひとみさん:ありますね。(笑)

2-4.結婚を考える当事者へ伝えたいこと

川﨑さんとひとみさんが顔を寄せ合っている

屋富祖:“結婚したい”と考える障害者の方に向けて、伝えたいことはありますか?

川﨑さん:これは男女どちらにも言えると思いますが、パートナーシップを築くには、おそらく障害があるか・ないかは関係なく、相手を理解して、尊重する姿勢がないと難しいと思います。

一緒に生活しようと思えば、そのハードルをどうやって一緒に解決しようかというのが大事だと思うので「障害があるからうまくいかないんだ」と、障害のせいにしない方が、きっと良い方向にいくのではないかなと思います。

屋富祖:「好きになった人がたまたま障害のある人だった」という場合も、きっとありますよね。ひとみさんはいかがですか?

ひとみさん:いろんな考えがあると思うので一概には言えませんが、私たちの場合は介護をする前提ではなく進めたのが良かったのかなと思います。

今は男女ともに働いている人が多いと思いますし、まずはお互いに「自立」した生活をすることが大事かな。夫は、結婚する前から24時間介助者を入れて“自立した生活”を送っていました。

なので、パートナーありきの介助を考えるのではなく、自分に必要な支援は受けながらも、自分で生活を成り立たせているというのが、まずは大事なんじゃないかな。

健常者の場合も、恋愛って自立した人同士じゃないとうまくいきづらいと思うので、それは相手が障害者であっても同じだと思います。

3.川﨑さんの、“使命”をまっとうする生き方

川﨑さんと息子さんが夜景を見ている後ろ姿

3-1.川﨑さんの考える“使命”とは?

屋富祖:Instagramの投稿にあった、「生まれ変わっても障害者でもいい」という言葉が印象的でした。これはどういう意図か、お聞かせいただけますか?

川﨑さん:「生まれ変わっても障害者でいい」と思えるように、社会の仕組みを整えたり、ケアを心地よく受けられる土台をつくりたいという思いがあります。

障害を持った人が世の中のなかにいるのは当然だと思いますし、誰もが病気や怪我をすることもある。

そうした状態であっても自分らしく生きられるように、世の中が変わっていくことが必要だと思います。

それがやりがいであり、ライフワークとして活動してきて、自分にはそういう使命があると思って活動を続けたほうが楽しいなと。

今、困ったり苦しい状況にいる人の力になりたいと思っています。今世で時間が足りればいいのですが。(苦笑)

屋富祖:川﨑さんからの「使命」という言葉、とても響きます……。現場での活動の他に、Instagramで発信活動をされているのは、どんな思いをお持ちですか?

川﨑さん:僕よりも妻のほうが発信活動は積極的かな……。(笑)

ひとみさん:夫が「使命」に向かって邁進するなかで、身体は無理をしていると思うんですね。健常者でも、普通に働くのは疲れるのに、夫の身体はもっと負担が大きい。

夫と暮らしていると、周りから訃報を聞くことも多いんです。

なので、もし夫に何かあった時に、みんなを励まして、みんなが夫の夢を叶えてくれるような弔辞を読むことが、私の使命だと思っています。

屋富祖:弔辞を読むことが、使命……。

ひとみさん:それを友人に話していたら、「じゃあそれ、生きているうちにやろうよ、弔辞読もうよ」と言ってもらって。

確かに、夫が亡くなるまで温めておく必要はないなと思いました。

夫と暮らしていて「夫がどんな人なのか」「夫に出会って、自分がどう変わったか」というのを、世の中の人に届けたいなと思って、Instagramでの発信を始めました。

そうしたら、想像以上に多くの方が見てくださっていて、応援してくれる人が増えていて。障害者と健常者が結婚して、幸せに生活しているというのをたくさんの人に知っていただきたいですね。

社会のなかで、普通に障害のある人は生きているというのを、一人でも多くの人に知ってもらえると良いなと思います。

3−2.川﨑さんの思い描く社会とは?

屋富祖:最後に、川﨑さんの目指す「社会」についてお聞かせください。

川﨑さん:僕が現実的に目指す「社会」は、障害のある人が望んだら実現できる支援体制が作られていることや、本人が頑張らなくてもそれが当たり前に認められる社会を作ること、家のなかでリラックスして暮らせるケアの質が高く維持されていることですね。

大きく社会が変わるのって、すごく時間がかかると思うんですけど、必要なケアが届けられるように、鹿児島県から活動を広げ、続けていけるといいなと思います。

それは多分、今世でも時間は足りるのではないかな。

4.最後に

「障害者の権利の土台を回復させたい」と語る川﨑さんは、当事者として乗り越えられた経験をもとに、多くの当事者が自立に向かうための後押しをされていると感じました。

また「障害者と健常者の結婚生活ってどうなの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、お2人の努力と絆が生み出す幸せが、障害のある・なしを超えて多くの人の希望となり、共感を呼んでいるのだと思います。

川﨑さんと、妻・ひとみさんの活動をもっと知りたい!という方は、ぜひInstagramを覗いてみてください。

川﨑良太さん 
Instagram:https://www.instagram.com/ryota_teku?igsh=aG13NnZvZDNzeHhz

妻・ひとみさん
Instagram:https://www.instagram.com/hrtekuwaku?igsh=N2E2c2ttbzNyMnc2

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